国史跡 那須小川古墳群(なすおがわこふんぐん・那珂川町) |
駒形大塚古墳、那須八幡塚古墳群、吉田温泉神社古墳群をあわせて「那須小川古墳群」として、
平成14年12月に国史跡に指定されました。
駒形大塚古墳[こまがたおおつかこふん]
4世紀初めころに造られた古墳で、全長60.5mの前方後方墳です。関東地方でも最も古い時期に
造られたと考えられています。画文帯四獣鏡(がもんたいしじゅうきょう・中国鏡)をはじめ、銅鏃、
直刀など多数の副葬品が出土しています。
吉田温泉神社古墳群[よしだゆぜんじんじゃこふんぐん]
吉田温泉神社古墳と観音堂古墳、19基の方墳群からなります。吉田温泉神社古墳は4世紀中頃に
造られた全長47mの前方後方墳です。
那須八幡塚古墳群[なすはちまんづかこふんぐん]
那須八幡塚古墳と吉田富士山古墳からなります。
那須八幡塚古墳は4世紀中頃に造られた古墳で、全長60.5mの前方後方墳です。
夔鳳鏡(きほうきょう・中国鏡)や鋸、鉇などの小型鉄製工具類が発見されています。
吉田富士山古墳[よしだふじやまこふん]は、一辺30mの方墳で、周囲には溝がめぐっていました。
古墳時代前期の方墳として貴重であることなどから、1958年に栃木県指定史跡第1号に指定
されました。

▲駒形大塚古墳 ▲那須八幡塚古墳 |
国史跡 唐御所横穴(からのごしょよこあな・那珂川町) |
北向田・和見横穴墓群で一番高い場所にあり、真南に開口した奥行4.78mの横穴墓です。
天井部が切妻屋根のような形になっており、棟木が表現されています。床面にはコの字型に棺座が
設けられるなど、精巧に造られていることから、昭和9年に国史跡に指定されています。
周囲には姫穴や厩穴、遠見穴など86基の横穴墓がみつかっており、栃木県内最大級の横穴墓群と
いえます。

▲唐御所横穴全景 ▲唐御所横穴内部 |
国史跡 那須官衙遺跡(なすかんがいせき・那珂川町) |
当初は寺院跡と考えられていましたが、発掘調査の結果、古代那須郡の役所跡であることがわかり
ました。遺跡の範囲は少なくとも南北約200m、東西約400mあり、大きく4つの区画にわかれて
います。中央ブロックは不明ですが、東ブロックは実務を行う場所、南東ブロックは館に関連する
施設があったと考えられます。また、西ブロックは倉院と考えられ、その中の1棟の建物には瓦が
葺かれており、正倉跡と考えられています。

▲那須官衙遺跡 ▲那須官衙遺跡出土鐙瓦・宇瓦 |
国史跡 那須神田城跡(なすかんだじょうあと・那珂川町) |
平安時代末期に、八溝山中の岩獄丸という賊を退治した須藤権守貞信が築いたといわれ、南北に長い
方形単郭式の形態を良好に残しています。古代から中世にかけての那須氏の本拠と考えられています。
源平合戦の「扇の的」で有名な那須与一はこの神田城で生まれたと伝えられています。

▲那須神田城跡 |
国史跡 侍塚古墳(さむらいづかこふん・大田原市) |
那須国造碑解明のために江戸時代に徳川光圀が発掘を命じました。発掘調査後には出土した遺物を
絵図に記し、墳丘に埋め戻して松の木を植え、史跡整備を行いました。これが日本で初めての学術
的な発掘調査・史跡整備といわれています。
上侍塚古墳[かみさむらいづかこふん]
4世紀末ころに造られた、全長114mの前方後方墳です。
下侍塚古墳[しもさむらいづかこふん]
4世紀末ころに造られた、全長84mの前方後方墳です。
|
国宝 那須国造碑(なすのくにのみやつこのひ・大田原市) |
7世紀末に活躍した那須直韋提(なすのあたいいで)の業績をたたえて建立された石碑です。
多賀城碑、多胡碑とともに日本三古碑のひとつとされています。
その形態や書風から渡来人のかかわりが考えられています。
|